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新着情報第2回復興スタディツアーを実施 被災地の現状を直接目で見て学びました
東日本大震災の被災地であり、原発から一番近い大学である本学において、学生自らが震災からの復興の課題と展望について実践的に考えるために、希望学生を対象とした双葉郡 8 町村スタディツアーを定期的に実施しています。今回12月7日(土)に第2回目となるスタディツアーを実施してまいりました。
朝、大学に集合し、マイクロバスでならはCANvas(楢葉町)に移動しました。
ならはCANvas内を視察した後、天神岬公園の見晴台から震災前と震災後の景色を見比べながら、石崎芳行福島復興創世研究所副所長から周囲の変化や当時のお話など説明をお聞きしました。併せて北田天満宮の大鳥居(復興のシンボル)を見学しました。
その後、東京電力廃炉資料館(富岡町)に移動し、3.11の地震発生から原子力事故とその対応について、詳細の説明を聞きながら展示を見て回りました。今年に入ってからの処理水放出や今後の放出予定等についても、映像を見ながら分かりやすく知ることが出来ました。
お昼は、震災後に東京から富岡町に移住してきたというご夫婦が今年5月に新しくオープンされた「フキノトウ」という食堂で昼食をいただきました。一軒家をそのまま食堂として活用しており、窓からは海を見渡しながら食事を取ることが出来ました。
昼食後、バスに乗って移動し、震災遺構浪江町立請戸小学校(浪江町)を訪れました。震災当時、津波により大きな被害を受けた浪江町請戸地区ですが、当時請戸小学校に通っていた児童は、奇跡的に全員が無事避難できています。現在、請戸小学校は震災遺構として整備・保存されており、この日も多くの人が見学に訪れていました。
最後に、東日本大震災・原子力災害伝承館(双葉町)に移動し、東日本大震災と原発事故に関するアーカイブを動画や年表、展示資料を見ながら幅広く学び、約1時間の見学を終えたのち、午後4時に本学にて解散しました。
今回、ツアーに参加した学生の出身地はいわき市内が3名、秋田県出身が1名、韓国出身が2名と、幅広いバックグランドを持つメンバーとなりました。
参加学生たちはいずれも震災当時は小学生であったため、意識することがなければ、被災地の現状を知るきっかけすらないのが事実ですが、震災から10年以上が経ち、当時被災した地域は現在どのような状況であるのか、どういった方々が地域を盛り上げようと励んでいるのか、直接目で見て、また震災から復興まで長く関わっている方々から直接お話をお聞きし、今後より深く学びたい気持ちが生まれたようです。
今後も引き続き、定期的にツアーを実施してまいります。
▼参加学生からのレポート(一部抜粋)
【経済経営4年 男性 韓国ソウル出身】
子供の頃、ニュースでしか見たことのない場所に実際に行ったのは初めてです。一番印象に残ったのはやはり請戸小学校です。幸い人命被害はなくて良かったのですが、その当時の被害がどれだけ大きかったのか、直接目で確認し、その時の状況を少しでも知ることができる良い機会を得たと思います。また、伝承館では震災当時の記録や写真が残っていて、さらにどのような状況だったのか分かりました。
【経済経営4年 男性 韓国大邱(テグ)出身】
日本が災難を乗り越えて復旧していく姿を直接見ることを通じて、自然災害とその影響をもっと深く理解したいと思うようになりました。特に、韓国と日本は地理的に近いだけに自然災害対応の経験について知っていきたいと思い、このスタディツアーに参加しました。このように当時の現場を直接見て回る経験は、単に過去を記憶することにとどまらず、今後の災難にどのように備えるべきかについての重要な教訓を残していると思います。災難の傷は決して簡単には消えないですが、これを記憶して学ぶ過程で、私たちはより強く堅固な社会を作っていくことができると思います。今回のツアー参加を通じて、過去の経験を未来世代が参考にできる重要な土台にしなければならないという責任感を感じることができました。
【健康福祉3年 女性 いわき出身】
今回のスタディツアーの中で印象に残っているのは、ならはCANvasです。特に子供が多くいたことが非常に印象的でした。公園やお家の中で遊ぶ感覚とあまり変わらず、子供たちが集まり楽しそうにしている様子は、ならはCANvasが子供たちにとって1つの居場所になっている証拠だと感じました。子供たちが集まれる場がある事は非常に大切であると感じました。
また、請戸小学校も印象的でした。1階部分を全て覆ってしまうほどの津波の怖さや、生徒や家族を不安にさせた災害の恐ろしさについて改めて考えさせられました。あのように当時のままになっている建物を見る機会はあまり無かったため、特に印象に残りました。東京電力廃炉資料館や原子力災害伝承館でも感じましたが、東京電力の方々はいつまで責任を感じなければならないのだろうかと少し思ってしまいました。確かに多くの方が不安になったり、避難を強いられたりして今では帰るお家も無くなってしまった人もいます。事故の大きさについても理解していますが、震災当時は被害を最小限に抑えようと尽力した方々がほとんどであったと今回の視察から特に感じました。原子力発電が悪と思うばかりではなく、良い面にも目を向ける人が増えたらいいなと感じました。
【経済経営2年 男性 いわき出身】
東京電力廃炉資料館で、東日本大震災の際の福島第一原子力発電所の職員の対応の様子や、どのような過程を経て福島原発事故が起きてしまったのか、事故から得た教訓とこれからの廃炉に向けた取り組みなどが印象に残っている。それは、震災当時、自分はまだ幼く事故の経緯や放射線について理解が追いついていなかったため、今になって学び直しすることができ、福島県に住む者として事故の理解を深めることができたと感じている。
【経済経営3年 男性 秋田出身】
今回一番印象に残ったのは、東京電力廃炉資料館での話でした。さまざまな人に聞いたとしても3.11は誰もが予想していたものよりも大きいと答えると思います。天災ではあるので誰になにができたわけではないとは思いますが、その上で今回のことを天災で片付けてはいけないとのお話を聞き、共感しました。そしてあの日の現場での対応がなかったら、もっと悲惨な事故になっていたことを知りました。私はその当時、秋田にいたので被害の大きさはテレビで見ることしかできなかったのですが、実際に足を運んで見て考えてみると、とても大きなことが私の身近で起きていて、またそれらを体験していたことを知りました。自分の体験は福島県にいた人たちに比べると大きくはないとは思いますが、それでもとても大きな衝撃を受けたことを覚えています。
【経済経営2年 男性 いわき出身】
請戸小学校が印象に残った。地震や津波で体育館の床が崩壊していたり、教室に瓦礫などが沢山あったりと、被害の爪痕が残っており、その姿を初めてみて何とも言えない気持ちになった。
もう一つの印象として、東京電力廃炉資料館で原発についての印象が残った。原発事故があったのは知っていたが、なぜ爆発したか詳しく知れていなかった。これにより住み慣れた街に住めなくなってしまった人も沢山いたことを考えるととても辛くなってしまった。
震災という大きな出来事や原発事故について詳しく知れたことは今回参加してよかったと思う。
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