プロ野球・埼玉西武ライオンズの粟津凱士投手と、同じく北海道日本ハムファイターズの片岡奨人選手が母校である本学を訪問しました。シーズンオフのため、コロナ禍の中で勉学、部活に励む学生たちを激励しようと足を運び、色紙にサインとメッセージをしたためました。
多忙の中、また遠いところを来訪していただきありがとうございました。2年連続してプロ野球選手誕生という快挙を成し遂げ、本学の新しいページを切り開いた2選手のさらなる活躍を祈念しつつこれからも応援していきましょう!
西武のドラフト4位ルーキーで本学の卒業生である粟津凱士(あわつ・かいと)選手が、6月13日の巨人戦でプロ初登板を飾りました。0―6の7回からマウンドに上がり、2回4安打2失点。プロの洗礼を受けた形になりましたが、巨人の主力選手との対戦など、大きな経験を積むことができました。
4月23日に初めて1軍へと昇格しましたが、登板機会はなく、後日2軍行きに。6月12日に再び昇格し、翌日に初登板を果たすことができました。ほろ苦いデビューとなりましたが、やっと立てた1軍の舞台。明るく、力強くインタビューに答えていたようです。
東日本国際大学留学生別科の平成29年度春期修了証書授与式が2月13日、本学1号館で行われ、35名の留学生に修了証書が渡されました。
新たに別科長となった田中みわ子准教授は「母国といわき、そして日本との架け橋となって活躍されることを期待しております。私自身精いっぱい学び、役目を果たしてまいります」とあいさつ。緑川浩司理事長は「自分だけではなく、他者のために頑張ることで最も楽しく充実した人生となります。どこへ行っても本学での学びを忘れず夢を実現してください」とはなむけの言葉を送りました。
また修了生を代表して、ナッタピムジンタナヌラトさん(タイ出身)が「子供のころから憧れていた日本に来ることができ、充実した日々を過ごすことができました。教職員の皆さんに親身になって支えていただいたことは決して忘れません」と答辞を述べました。
2015年3月(平成26年度)に本学、経済情報学部(当時)を卒業した池森龍さんがRyoとして歌手デビューしました。
池森さんは、北海道・駒大苫小牧高校から本学へ進学。硬式野球部の外野手として全国の舞台でも活躍した選手でもあります。本学卒業後は、歌手の道へと進むことを決め活動を開始。池森さんの叔父である、ロックバンド「DEEN」の池森秀一さんのプロデュースで9月7日、配信シングル「HOMARE」でデビューを果たしました。同じボーカリストである秀一さんが龍さんの歌声に惚れ込み、プロデュースに至ったそうです。
デビュー曲「HOMARE」は、BS-TBSで放送される『第11回 BFA U-18野球チャンピオンシップ』や、福岡ソフトバンクホークス松田宣浩選手のテーマ曲に使用されることが決まり、多くの野球ファンにもその歌声を届けることになります。
今後の活躍に目が離せません。
掲載記事はこちら
http://www.sponichi.co.jp/baseball/index.html (スポニチアネックス)
(リンク先で「池森龍」と検索)
8月9日(火)東日本国際大学留学生別科「平成28年度秋期修了証書授与式」が執り行われ、留学生53名(ネパール、中国、ミャンマー、ベトナム、フィリピン)が本学を巣立ちました。
式では、修了生一人一人の名前が呼ばれた後、修了生を代表してベトナム出身のヴティトゥホンさんに宮本文雄副学長より修了証書が手渡されました。留学生を代表してネパール出身のサヒアカスさんが上達した日本語で、お世話になった教職員の方々へ感謝の意を述べ、最後に緑川理事長より祝辞をいただきました。
修了式後は謝恩会が行われ、留学生同士思い出を語り合い、時には厳しく時には優しく指導してくださった先生方とも話が絶えず、名残を惜しんでいました。また、修了生が大学や専門学校に進学することになり、9月から新たな学生生活が始まります。今後の皆さんのご活躍を教職員一同、心から応援しております。
3月24日(木)の福島民友新聞「ニューリーダーの視点」において、本学の経済学部を2002年に卒業し、有限会社キャニオンワークスの代表取締役として活躍されている、半谷正彦さんが紹介されました。
「県産の素材や伝統工芸技術の活用など『オール福島』を結集した製品作りは目標の一つ。本件出身の若手デザイナーとのコラボ商品なども企画したい」。縫製業界の次世代を担うリーダーは大きな夢を語る。各種バッグや登山用品、ウエットスーツなどの製造・販売を手掛ける企業のトップだが、自社ブランド確立に向けた挑戦を続けている。
2011(平成23)年3月の東京電力福島第1原発事故で浪江町の本社は操業停止を余儀なくされた。しかし、災害に屈することなく、再起を決意。群馬県での仮施設での操業再開を経て、14年4月にいわき市の好間工業団地にいわき工場を建設した。資金繰りのほか、従業員の確保などに奔走した。
新工場では製造ラインを拡充し、バッグなど取り扱う製品の幅を広げ、取引先も拡大した。デザイナーら若手社員が多い社内風土を生かした商品開発や、メーカー側への新企画の提案を指揮する。
「いずれは浪江町の本社工場を再開したい」。企業家としての志の先に故郷復興への思いがにじむ。
はんがい・まさひこ
浪江町出身。東日本国際大経済学部卒。2012年11月に社長就任。幅広いジャンルの縫製事業のほか、自社ブランド確立を進める。
平成28年3月24日(木)福島民友新聞11面掲載
平成27年7月17日(金)、本学国際部に平成24年9月卒業のネパール(1期生)留学生クリシュネショール シュレスタさんが訪れました。クリシュネショールさんは、現在アイマックエンジニアリング株式会社でエンジニアリングサービスセンターの課長として活躍しております。本学初めてのネパール留学生の活躍している姿を見ることができて、国際部でも嬉しく思っております。
また、クリシュネショールさんは、東日本大震災時に一緒に大変な時期を乗り越え頑張った学生で、留学生からも信頼されていた留学生でした。
クリシュネショールさん
「在学している留学生に対して、悔いの残らない留学生生活を過ごしてほしい」と話しておりました。
本学の福祉環境学部の卒業生で、今年の4月から福島県警で勤務している齋藤雄河さんが、5月12日の福島民報社会面の記事に取り上げられました。
以下は、福島民報 2015年5月12日 社会面掲載 の記事の引用となります。
東日本大震災から4年2カ月の11日、4月に県警察学校に入校した初任科生52人が初めて不明者捜索に臨み、記憶の風化が懸念される中、震災対応の厳しい現場を体験した。浪江町請戸地区では被災経験から警察官を志した斎藤雄河(ゆうが)さん(22)の姿があった。「自分を助けてくれた警察官のように、被災者に寄り添い続けたい」。目指すは誇りと使命感に満ちた、あの日の背中だ。
くわを持つ手に力が入る。草が生い茂る地面を何度も掘り起こした。
震災対応が続く警察官の使命を学ぼうと初任科生が参加した11日の一斉捜索。斎藤さんも先輩警察官に付いて不明者の手掛かりを探した。
斎藤さんはいわき市出身。高校卒業後間もなく起きた東日本大震災で市内植田町の自宅が津波で全壊した。家族3人で高台に避難したが、道路が冠水し、逃げ場がなくなった。家族を救ったのは、地元いわき南署の男性警察官だった。黙々とボートで家族を同署まで運ぶと、ひと言。「津波はここまでは来ないですよ」。さりげない笑顔に触れ、ようやく安心できたという。経験が警察官になる思いを一層強くさせた。
進学先の東日本国際大では国体にも出場した柔道で心身を鍛える一方、ボランティアでいわき中央署の防犯活動に参加した。繁華街の巡回や自転車の盗難防止対策などに触れ、住民の安心と安全を守る苦労や安全が守られる過程を目の当たりにした。
一斉捜索で訪れた請戸地区の復興は進んでいなかった。自分にできることは何か。自問自答し、復興を治安面で支える決意を胸に刻んだ。警察学校での鍛錬は9月まで続く。「被災者に寄り添い、気持ちを酌み取れる警察官になる」と誓った。
11日に本県沿岸部で行われた一斉捜索には県警をはじめ福島海上保安部、双葉地方広域消防本部などから約420人が参加した。
浪江町の請戸漁港周辺では初任科生を含む230人が作業した。東北大の協力を得て、地中レーダーで反応があった地点をスコップやくわで掘り起こすなどして丁寧に調べた。県警本部災害対策課によると、現金、診察券など11点の拾得物があった。
東日本大震災と東京電力福島第一原発事故の記憶の風化が課題となっているが、復興の最前線を担う県警にとっても風化の食い止めが大きな課題となっている。ある県警幹部は「時間がたつにつれて震災と原発事故の記憶が薄い年代が増える。いかに私たちの思いを継いでいくかが課題」と語る。11日の捜索に参加した初任科生の多くも震災当時、未成年だった。
県警は震災直後から記録し続けた映像を教育用素材に編集し、若手警察官らへの指導教材として活用を始めたほか、被災地での救助・救援活動に当たったベテラン警察官から体験談を開くなど若手警察官への教育を強化している。今後もこうした取り組みを継続しながら使命感の強い警察官を育成していく。
福島民報からの引用は以上となります。齋藤雄河さんの在学時のインタビューも併せてご覧ください。